仙人峠道路

公開日 2008年12月09日

 「冷たい風が、せはしく西から襲ふので 白樺はみな、 ねぢれた枝を東のそらの海の光へ伸ばし 雪と露岩のけはしい二色の起伏のはてで 二十世紀の太平洋が、青くなまめきけむってゐる 黒い岬のこっちには 釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド…(略)あたらしい風が翔ければ 白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす」。宮沢賢治の「峠」と題されたこの詩は、仙人峠からの情景をうたったものといわれています。今や廃道となった仙人峠の旧道には、訪ねる人もありません。しかし、このみちは、道路の大切さを改めて教えてくれる貴重な遺産です。そして長い歴史が刻まれたこの峠にかわり、仙人峠道路が新たな歴史を刻み始めています。二十一世紀、太平洋は明るく輝き、地域には新しい風が吹き渡ることでしょう。

仙人峠道路 平成19年3月18日開通

■開通式

 開通式は釜石市甲子町の甲子こ線橋付近で、午前10時から関係者約250人が出席し開催されました。国会議員をはじめとする来賓の方々、主催者(国土交通省東北地方整備局・岩手県)並びに3市町村長(釜石市長・遠野市長・住田町長)らがテープカット、くす玉を割って祝福。関係車両約210台が遠野市に向けてパレードしました。

■開通記念セレモニー・開通祝賀会

 鈴子広場では、「海と緑の交流拠点」形成への新たなスタートを祝い、来場者に祝い餅等が配られ、「本郷桜舞太鼓」が披露されました。供用開始時刻の14時には花火の打ち上げ、バルーンリリースを行い、トヨタ輸送キャリアカーとトラック協会トレーラー計26台が出発し、沿道含め2,000人余りの市民が見送りました。 
 遠野市の市民体育館では関係者約450人が参加し、開通祝賀会が開催されました。

  

仙人峠道路の概要

せんにんとうげ

 遠野盆地から北上山地の脊梁を越えて釜石に通じる峠。釜石街道が通り、釜石仙人峠通行状況市と遠野市の境界になっている。標高887m、遠野側からは早瀬川沿いに足ヶ瀬を経て沓掛から急坂を上り、釜石市大橋に急斜面を下る。遠野盆地から海岸部に通じる峠には、北の界木峠(729m)・笛吹峠(862m)と当峠があるが、当峠は最も険しく九十九曲の急坂と称されてきた。しかし峠は相当古い時代から利用されたといわれ、釜石に通じる重要な峠であった。
 岩手軽便鉄道(のち国鉄釜石線)は大正4年、花巻と遠野市上郷(仙人峠駅)までの路線を開通させたが峠を越すことは無理で、釜石鉱山鉄道(大橋~鈴子間)仙人峠の頂上付近の大橋駅まで鉄索で荷物を送り、人は3時間かかって徒歩で峠越えをした。
 昭和25年には国鉄トンネルが全通して峠越えがなくなり、さらに同34年約1km北に仙人有料道路(現在有料廃止)が完成して現在は廃道になった。
 遠野側から峠に達するには仙人トンネル(全長2,500m)入口の沓掛から上る。
 かつての峠の様子については「※奥々風土記」に「東ノ海辺に通ふ上り下り共、いとさかしき坂路なり。故レ往来の人いたく苦む故に嶺上に至れば必休憩ふめり…義経の腰掛石といふあれど如何なる由にか真仙人峠用籠家出発偽明ならず」とあり「遠野物語り」にも「登り十五里降り十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり」「仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす」と記されている。
 また、峠の記載は「邦内郷村志」「三閉伊郡志」「上閉伊郡志」「地名辞書」など多くの書に見える。峠名については、昔、麓の千人沢の金山が崩れて千人の金堀りが死亡したことにちなむとか、山に仙人が住んでいたことによる(遠野物語捨遺)などと伝えられている。

※[おうおうふどき(奥々風土記)]
 南部氏40代利剛の命により江刺恒久が編集した風土記。旧南部藩の全領を網羅しており、この種の風土記の代表的な著作。南部家蔵本と江刺家に伝承された原本があり、江刺家蔵本には全巻を通じて間宮永好・栗田寛の考証の加筆がある。間宮永好は、1872年(明治5年)1月3日に没しているから、それ以前に完結したものと推察される。「南部藩書」第一冊に収録されている。

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