昭和三陸津波
 昭和8年3月3日、午前2時半すぎ、三陸沿岸は強い地震に見舞われました。

 明治の大津波を体験していた人々は、大地震が来たら津波があるものと思って高台に逃げるよう教えられていたのですが、「冬の晴天には津波は来ない」という言い伝えから、ふたたび眠りについてしまった人も多かったようです。

 そして3時5分頃、釜石に津波第1波が襲来。4時頃までに6回前後の波が押し寄せました。

 この津波により、三陸一帯で3,064人が死者行方不明となりました。岩手県では田老町
(たろうちょう)と唐丹町本郷が特に大きな被害を受け、田老では972人が、本郷では118人が犠牲となりました。また釜石の市街地では地震と津波の影響による火災が発生し、町は壊滅状態となりました。
被害の概況
町村部落名 津波前の人口 死 者 行方不明 重 傷 軽 傷
釜石町 釜 石 23946 22 8 15 104
平 田 846 1
白 浜 354 3 4 1
鵜住居村 両 石 750 2 1 3 2
片 岸 375
室 浜 356 1 3 1 10
箱 崎 635 1
根 浜 102
桑ノ浜 117
白 浜 386
仮 宿 76
唐丹村 小白浜 871 3 3 17 3
本 郷 613 118 210 11
花露辺 397 6 4 1
片 岸 625 1 4 2
荒 川 494 7 3
大 石 694
31637 164 240 37 134
岩手県昭和震災誌より
津波の高さ
津波による火災で延焼する場所前
津波による火災で延焼する場所前
地震と津波の影響から松原、場所(現浜町・2箇所)、只越から火災が発生した。特に場所から出火した火災は消火が遅れたため延焼し、大きな被害を出した。
町村部落名 津波の高さ
(最大浸水高)
満潮面上 満潮時
換算
釜石町 釜 石 4.13 5.53
嬉 石 3.90 5.30
平 田 4.50 5.90
白 浜 4.40 5.80
鵜住居村 両 石 9.14 10.54
箱 崎 4.40 5.80
片 岸 5.50 6.90
室 浜 6.00 7.40
唐丹村 小白浜 11.80 13.20
本 郷 9.30 10.93
花露辺 8.30 9.70
下荒川 7.80 9.20
大 石 6.90 8.30
岩手県昭和震災誌より

只越の様子 嬉石の様子
 只越(ただこえ)の様子  嬉石(うれいし)の様子
尾崎神社 ←尾崎神社拝殿
 尾崎神社は現在市営ビルの立っている場所にありました。
 
 昭和8年の津波による火災で焼失し、昭和10年に台村(浜町1丁目)へ遷座、その後高台にある現在地(沢村沢:浜町2丁目)に遷座をなしました。
津波前の尾崎神社→

津波前の尾崎神社
大渡川河口 小白浜の様子
流失物に埋もれた大渡川河口 後方は製鐵所の建物 唐丹町小白浜の様子

 昭和8年の津波では、明治の津波の伝承が生かされ、人命の損傷は最低限にくいとめられました。このことにより復興は早まり、年末にはほとんどの住宅・漁船漁具の復旧が完了していたようです。
 また、防災の面から高地に住宅地を形成することが推奨され、各地区で高地に住宅地を造成しました。しかし津波から時間がたつにつれ、住宅地の不足や利便の悪さから人々は次第に低地に移転するようになっていきました。

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