その10. 近代製鉄発祥の地、大橋

 釜石市と遠野市の境に近いところに位置する大橋地区は、釜石の歴史と大きくかかわっている地域です。

 今回は大橋の歴史を簡単にご紹介するほか、この秋に行われた大橋でのイベントとともに大橋の旧鉱山事務所の現状をご報告いたします。
鉄づくり体験
中学生による鉄づくり体験 (平成23年10月19日)


「近代製鉄発祥の地」と聞くと、橋野高炉跡を思い出される方も多いかと思いますが、大島高任が安政4(1857)年に洋式高炉による連続出銑にはじめて成功したのは、大橋に建設された高炉でのことでした。
残念ながら高炉跡は残っていませんが、現在の旧鉱山事務所付近にあったということです。
大橋高炉絵図
大橋高炉絵図
大橋の高炉はその後明治はじめころまで稼働しましたが、大橋が官営製鉄所の選鉱場に決まったため明治7年に廃業となり、翌8年に取り壊されています。
大島親子顕彰碑
大島親子顕彰碑
旧鉱山事務所の入口右側に、大島高任とその息子・道太郎(官営八幡製鉄所初代技官)の業績をたたえた碑があります。昭和17年に建立されたものです。
碑の上側に刻まれた「労於天下之用」の文字は、岸信介(第56・57代内閣総理大臣)によるものだということです。
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大橋は釜石の鉄道の歴史のはじまりの地でもあります。明治13年(1880)年8月、日本で3番目の鉄道が大橋−鈴子間に開通しています。

釜石の鈴子に官営製鉄所がおかれることとなり、良質の鉱石がとれる大橋より製鉄所まで鉱石を運ぶための鉄道が敷設されたのでした。
官営鉄道で使用された車両
官営鉄道で使用された車両
開通当初、火の粉を散らし、もくもくと煙をはいて進む機関車を見て、老人たちは土下座して拝み、お賽銭を投げたと当時の人の日記には記されています。
しかし明治15年末には官営製鉄所の廃止が決定し、同時に釜石の鉄道はわずか2年半ほどで舞台の幕を引くこととなりました
明治20〜30年頃の大橋
明治20〜30年頃の大橋
【画面中央:鉄鉱石を運ぶ馬車。右側に見えるのは大橋分工場の高炉。】

明治20(1887年)、横浜の鉄商人田中長兵衛が旧官営製鉄所の払い下げを受け、新たに田中鉱山釜石製鐵所を発足させました。大橋は鉱山として機能したほか、分工場がおかれ高炉が新設されました。
官営鉄道はすでに廃止になっていたため馬による輸送がさかんになり、明治25年には大橋‐鈴子間に馬車鉄道が敷設されました。この馬車鉄道が後の社線(製鉄所専用鉄道)の元になったのでした。

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かつては多くの社宅が立ち並び、学校や病院もあった大橋の町ですが、残念ながら今は一部にその面影を残すのみとなっています。
大橋鉱山社宅
大橋鉱山社宅
大橋の町には学校や病院のほか、映画館などもありました。
戦中は鉱山の生産量が増大し、一時は従業員が6000人におよんでいたということです。
写真の社宅は取り壊されてしまい、現在は見ることはできません。
旧釜石鉱山事務所
旧釜石鉱山事務所
昭和27年から平成19年まで実際に鉱山の事務所として使われていました。
事務所1階は昭和30年代の事務所を再現、2階で鉱山の歴史に関する資料をなどを展示しています。
※東日本大震災の影響により休館中です。


例年、10月なかばころに旧鉱山事務所近くにある山神社のお祭りがあります。
出店が並び、ステージでは出し物が披露されるなどイベントが行われ、近隣からの見物客で賑わいます。
震災のあった今年も、にぎやかにもよおされました。
山神社
お祭りの様子
【上】山神社 【下】お祭りのようす (平成23年10月11日)
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また、市内では中学生に釜石の鉄づくりの歴史を体感してもらおうとたたら製鉄体験を行っています。
今年は大橋を会場に、甲子中学校の生徒が参加して行われました。
鉄づくり体験
鉄づくり体験
鉄づくり体験 (平成23年10月19日)
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旧釜石鉱山事務所は震災による影響のため公開を中止しておりましたが、来年度は公開できるよう整備を進めております。
公開の時期等詳しいことが決まりましたら、こちらのHPでご紹介いたします。
館内整備作業
館内整備作業
館内整備作業
【上】旧釜石鉱山事務所 【下】釜石市郷土資料館
旧釜石鉱山事務所と釜石市郷土資料館では現在館内整備を進めています。
8月22日〜10月21日の2ヶ月間、ALSOK岩手株式会社のみなさんにボランティアとして作業に参加していただきました。
ALSOK岩手株式会社のみなさん、ありがとうございました。


旧釜石鉱山事務所は現在震災による影響のため公開を中止しております。

詳細については次のページをご覧ください → 旧釜石鉱山事務所