その19.釜石線開業70周年記念に寄せてW
令和2年12月25日

釜石市郷土資料館 館長 村上 修

  10月10日(土)から開催していた本資料館の企画展第2弾「釜石線開通70周年記念展」は、12月20日(日)をもちまして好評のうちに幕を閉じました。今回の企画展にご協力くださいました多くの方々に感謝申し上げます。

 さて、伝説の急行「陸中」のその後について話を続けてます。急行「陸中」は、併結相手の列車名や区間の変更が繰り返され、昭和47年に仙台−宮古間2往復の運転に改められました。さらに同57年、東北新幹線が開業すると北上−宮古間に短縮、同60年には盛岡−花巻−釜石−宮古というルートに変更され、翌年には「はやちね」を統合して3往復となりました。釜石線初の優等列車名「はやちね」(昭和34年7月、準急として誕生)の消滅です。

 国鉄がJRとなっても、昭和が平成になっても、急行「陸中」は走り続けました。平成2年と翌年にかけて使用車両をキハ58・28からキハ110形の新型車両に姿を変え、イメージを一新するとともにスピードアップを図りました。しかし、同14年には快速「はまゆり」に格下げされ、ついに急行「陸中」はその生涯を終えました。現在は、国鉄時代の急行「陸中」の伝統を受け継いだ快速「はまゆり」が、かつての急行の雰囲気を醸し出しながら盛岡・釜石間を3往復しています。

 そこでここからは、この快速「はまゆり」という列車に着目して話を進めます。この車両は、前述の通り、老朽化した国鉄型気動車(キハ58・28やキハ52)置き換えのため、車体長20mの急行用としてJR東日本が開発したキハ110系で、平成2年3月から急行「陸中」で運転を開始しました。登場からすでに30年が経ちました。

 キハ110系は110・111・112の3形式があります。キハ110形は両運転台で単行運転が可能、キハ111・キハ112形は片運転台(112はトイレなし)で、111+112の連結が基本になっています。塗色はわずかに緑色がかった白を基調にドアと車体隅に緑色を配しています。全長20mながら車体の軽量化とエンジンの性能を高めることで、急こう配の多い山岳路線での速度向上が可能となり時間短縮を実現しました。なんとあの仙人峠を時速60qで駆け上がります(ちなみにキハ58は30q/h)。さらに冷房装備、複層ガラスの固定窓、回転リクライニングシートの装備、車内保温のための客室ドア用開閉スイッチの設置など、旅客向上がグンと図られています。一部、座席がセミクロスのキハ110形100番台(普通列車バージョン)も運用についています。

 同類の車両にキハ100形があります。こちらは、配色は同じですが、車体長16mと短く、普通列車として運行されています。単行運転が可能な両運転台車で、ワンマン運転が対応できる造りになっています。車内はボックスシートとロングシートを設けるセミクロスシートで、和式トイレが付いています。110系と同様にクーラーを備え窓は固定式です。

 機会があれば、是非乗車して、車両を観察してみてください。

釜石線ハイライト


筆者撮影


大きなホッパーが目を引く陸中大橋駅。
ここから仙人峠越えが始まる。


仙人峠越えのハイライト、「鬼ケ沢橋梁」を渡る快速「はまゆり」を見上げる。


絶景ポイント、宮守川橋梁、通称「めがね橋」を4両編成の快速「はまゆり」が渡る。


こちらは達曽部川橋梁、通称「岩根橋」。宮守川橋梁と同じくめがね橋。


逆光の中、快速「はまゆり」が248mの北上川橋梁を一気に渡る。

 長々と連載してきた「釜石線開業70周年記念に寄せて」は、今回をもちまして終了いたします。ご愛読ありがとうございました。

 早いもので令和2年も暮れようとしています。来年はコロナが収束し、ゆっくりと鉄道旅ができるようになることを願うばかりです。

 皆様、よいお年を。