その18.釜石線開業70周年記念に寄せてV
令和2年11月1日

釜石市郷土資料館 館長 村上 修

  今月10月10日、釜石線は開業70周年を迎えました。本館では、企画展第2弾として「釜石線70周年記念展」を10月10日(金)から12月20(日)まで開催しております。たくさんの方々のご来館をお待ちしております。

 さて、前回に引き続き、国鉄時代の釜石線の急行「陸中」について話を進めていきたいと思います。

 花巻で切り離された「陸中」は、釜石線に入り、12時07分に釜石到着。その後、山田線を走って陸中山田・宮古列車名の通り陸中海岸沿いの要所をぐるっと巡り、16時20分に盛岡にたどり着きます。しかし、盛岡はまだ通過点、「陸中」は秋田行きであることを忘れてはいけません。そして、なんと、ここで上野発の常磐線・花輪線経由弘前行き急行「みちのく」と併合するのです。この「みちのく」、その名の通り陸奥国を縦断する三階建て列車で、盛岡に着くまでの間、小牛田で陸羽東線の鳴子行2両を、花巻で釜石線(釜石着17時45分)・山田線経由の宮古行5両編成を、それぞれ切り離しています。4両と身軽になって盛岡に到着した「みちのく」は、ここで仙台発秋田行きの「陸中」3両と合体して16時30分、弘前と秋田を目指して盛岡を出発します。好摩から花輪線に入り大館に19時15分に到着。ここで弘前行きの「みちのく」と秋田行きの「陸中」は分割し、19時21分、「みちのく」は単身、奥羽本線の夜道を弘前に向けて旅立って行きます。終点弘前着は20時09分。一方の「陸中」、こちらは大館でも併合を行います。青森発の秋田行き急行「むつ」との合体です。実はこの「むつ」は、ここへ至る途中の川辺において、五能線の深浦行き急行「深浦」と分割しています。さて、大館を19時24分に出発した「むつ・陸中」は、夜の奥羽本線をひた走り、終点秋田に到着するのは21時12分。「陸中」にしてみれば13時間32分を要した遥かなる旅路でありました。

 このように、気動車の特性を生かして、分割・併合を繰り返す複雑な運用で、非電化区間と上野や仙台等の都市とを乗り換えなしの直通で結ぶ急行列車は東北各地で見られ、たくさんの乗客を運びました。

 国鉄時代、釜石線にはこのほかにも特筆すべき急行列車が走っていたのでそれを紹介します。それは、昭和40年に運転を開始した盛岡−花巻−釜石−宮古−盛岡を循環する左回り準急「五葉」と、右回りで循環する準急「そとやま」です。翌41年にはそろって急行に昇格。東北本線・釜石線・山田線をぐるっと一回り、盛岡発盛岡行き、という変わり種の列車です。当初は4両編成で中に1等車(現グリーン車)を1両連結していました。



賑わう釜石駅のホーム
昭和43年10月1日改正の『国鉄監修交通公社の時刻表』によれば、急行「五葉」は盛岡発13時05分→花巻発13時40分→釜石発15時35分→宮古発16時57分→盛岡着19時04分。急行「そとやま」は盛岡発9時18分→宮古発11時37分→釜石発12時48分→花巻発14時50分→盛岡着15時22分。共に一周約6時間を要しました。
今となっては懐かしい、釜石が活気に満ちていた国鉄時代の話です。


土沢駅に停車中の急行「陸中」


盛岡駅で出発を待つ急行「五葉」

 さて、今回のコラムはこれにて終了します。次回も、引き続き国鉄急行ネタを続けていきたいと思いますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。