郷土資料よもやま話

大天場山遺跡出土「常滑壺」 教育委員会 生涯学習スポーツ課
  文化財調査員 森 一欽
常滑産広口壷
常滑産広口壷

郷土資料館のかまいしの考古フロアにある、常滑産の壺は大天場山遺跡から出土した資料です。


 大天場山遺跡は、八雲神社から配水池周辺の大天場山に位置し、八雲沢南岸の山地端部の緩傾斜上に立地します。

釜石市文化財調査委員で、釜石第二中学校社会科研究会の顧問でもあった三上昭氏による市内遺跡の報告(三上 1957 釜石市教育委員会 1963)では、八雲神社の北50mくらいのところにある祠より、この壺と鏡の破片、水晶が出土したとされており、岩手大学の板橋源氏は経塚跡と推定しております。

大天場山遺跡周辺の地図
大天場山遺跡周辺の地図
(赤い点線で囲んだ部分が大天場山遺跡)
和鏡(破片)
和鏡(破片)

常滑産の壺は13世紀第2〜3四半期(赤羽・中野編年に準拠すると6b型式)のものと考えられます。一方、鏡は破片であるので判別は難しいですが、鏡の径が小さいことから14世紀以降のものと考えられます。そのことから出土状況や、鏡の時期については再検討が必要です。

この他に、破片ではありますが、常滑産の三筋壺も採集されています。こちらは12世紀第3〜4四半期(4型式)のものと考えられます。

常滑産の三筋壺(破片)
常滑産の三筋壺(破片)

常滑は、愛知県の知多半島で生産された陶器です。これがどのように釜石に搬入されたか(太平洋ルートあるいは内陸ルート)も検討しなければなりません。

知多半島〜釜石

この時期は、平泉の藤原氏の栄華から、源頼朝による滅亡、東北地方が関東御家人の領地となった時期です。釜石地方では、宮古を中心とする閉伊氏や、遠野を中心とする阿曽沼氏、気仙を支配した葛西氏などがいましたが、実際は誰が治めていたか不明です。

鎌倉時代の岩手
鎌倉時代の岩手




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