更新情報

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  • 8月24日 旧釜石鉱山事務所について、新規ページへリンクしました。
  • 8月18日 イベント「海図第1号がやってくる」について掲載しました。

釜石の歴史について

釜石の歴史については、釜石市郷土資料館のホームページでもとりあげておりますのでご覧ください。郷土資料館では、津波や艦砲射撃資料を中心に、釜石の自然や歴史、民俗を紹介しています。

郷土資料館ホームページへクリックすると別ウィンドウが開きます。

鉄づくりの歴史

釜石は「鉄と魚のまち」として発展してきましたが、とりわけ「鉄」による影響は大きなものでした。

安政4年(1857)、盛岡藩士大島高任は、大橋地区において洋式高炉を築き、鉄鉱石精練による出銑に成功しました。これにより、釜石は我が国の近代製鉄業発祥の地となりました。ここでは釜石における鉄づくりの人物・歴史などを紹介します。

近代製鉄の父 盛岡藩士 大島高任 

文政9年(1826)5月11日、盛岡藩の侍医・周意の嫡子として盛岡に生まれました。17歳から江戸や長崎に出て蘭学を修めるとともに、西洋の兵法・砲術を体得し、採鉱・冶金術等の学技を修めました。その後、水戸藩の徳川斉昭のもとで那珂湊に反射炉を築造、大砲鋳造に成功しましたが、従来のまま砂鉄銑を原料としていては性能の優れた西洋の大砲に太刀打ちすることができないため、鉄鉱石による良質銑が必要となりました。
高任は、盛岡藩大橋に洋式高炉を建設し、安政4年12月1日(1858年1月15日)に、我が国で初めて鉄鉱石精練による出銑操業に成功しました。このほか、橋野、佐比内、栗林、砂子渡など、高任やその弟子たちの指導で13座の高炉が築かれました。
その後、帰藩して蘭学・医学・物理・化学・兵術・砲術を学ぶ日新堂を創設しました。さらに、火薬による採掘法、他鉱山の技術指導・経営などに参画しました。
明治以降、岩倉遣欧使節団に加わり、ヨーロッパの製鉄技術や採鉱技術を学び、帰国後は全国各地の鉱山で活躍するほか、我が国で初めての坑師学校(専門学校)や工学寮(現東大工学部)の設置を進言して創設に携わりました。そのほか、ワインの国産醸造の先駆など、その活躍は多方面にわたりました。明治34年(1901)3月29日、76歳で没しました。

 鉄づくりの沿革

亨保12年(1727) 公儀御薬草御用阿部友之進、大橋地区で磁鉄鉱石を発見
安政4年(1857) 盛岡藩士大島高任、洋式高炉で国内初の出銑に成功
明治7年(1874) 官営製鉄所着工
明治13年(1880) 官営製鉄所操業開始、釜石鉄道開通(日本で3番目の鉄道)
明治16年(1883) 官営製鉄所廃止
明治18年(1885) 田中長兵衛、民営として製鉄所再興に着手
明治19年(1886) 田中長兵衛、10月16日初出銑
明治20年(1887) 釜石鉱山田中製鐵所設立
大正13年(1924) 釜石鉱山株式會社となる
昭和9年(1934) 日本製鐵株式會社釜石製鐵所となる
昭和20年(1945) 7、8月の艦砲射撃により設備復旧不能となる
昭和23年(1948) 第10高炉の火入れを行い復興させる
昭和25年(1950) 4月1日、富士製鐵株式會社釜石製鐵所となる
昭和45年(1970) 新日本製鐵株式會社釜石製鐵所となる
昭和61年(1986) 創業100周年
平成元年(1989) 第一高炉休止。銑鋼一貫体制から複合事業へ
平成8年(1996) 休止中の高炉解体
平成19年(2007) 近代製鉄発祥150周年

鉄の歴史館

鉄の歴史館は、近代製鉄の父、大島高任の偉大な業績を顕彰し長く後世へ伝え残すため、また、観光拠点として地域経済の振興に寄与するため、昭和60年7月にオープンしました。平成6年4月には、展示内容の充実を図って施設の拡張を行い、鉄の殿堂としてリニューアルオープンして現在に至っています。
釜石の鉄づくりの歴史を模型や資料によりわかりやすく展示しています。

詳しくは観光スポット(鉄の歴史館)のページをご覧ください。

橋野高炉跡

この史跡は、日本工業史上屈指のものとして、昭和32年6月に国の指定文化財となりました。近代製鉄の父、大島高任の指導によって築造された洋式高炉3座の遺跡です。幕末には本高炉のほか、大橋に3座、佐比内に2座、砂子渡に1座の計9座が築造され、良質で豊富な鉄鉱石の産地を背景にして銑鉄を精錬しました。
従来は砂鉄を原料として簡易な精錬方法をとっていましたが、ここに初めて鉄鉱石から精錬をしたこと、洋式高炉によって量産が可能になったことという2つの点から、我が国における近代製鉄業史上極めて大きな意義を持つ貴重な史跡です。また橋野高炉跡には、高炉跡のほか日払い所、水車場跡、長屋跡なども残っており、当時の製鉄の様子が伺えます。

橋野高炉跡のユネスコ世界遺産登録への取り組み等については、こちらへ。

橋野高炉跡三番高炉 

交通アクセス

JR山田線 鵜住居駅から車で30分※クリックすると詳細地図にジャンプします。

旧釜石鉱山事務所

内部の様子 

【懐かしい事務所の風景を再現しました】

旧釜石鉱山事務所は、昭和26年(1951)に建築された、釜石の鉄の歴史を語るシンボリックな建物のひとつです。

展示室内には、釜石鉱山(株)が収集した釜石鉱山産の岩石や歴史資料、鉱山の道具など約600点が展示されています。中には明治37年(1904)作成のカーネギー社製のレールや、大橋高炉の異形レンガ、手動式発破具、餅鉄と呼ばれる炉底塊など、ここでしか見られない資料が多数存在します。

事務所周辺に目を向けると、釜石鉱山に関連する施設が数多く残っており、鉄のまち釜石を深く理解するために重要な地域となっています。

施設案内へ

建物の詳細については、こちらのページをご覧ください。(クリックすると別ウィンドウが開きます。)

釜石港の海図について

陸中國釜石港之図

釜石港を対象に作成された「陸中國釜石港之図」は、明治5年(1872)に発行された日本人のみの手による海図第1号です。この図は、縮尺三万六千分の一で、水深の単位に尋(ヒロ・約1.8m)を用い、当時の英国海図の図式によって険礁・海岸線・ケバ式の山容などを描いています。

釜石港が海図第1号に選ばれた理由は、同港が東京・函館間の中間補給地点として重要な港であったこと、当時、高炉による銑鉄の生産に成功していて官営製鉄所建設の直前であったことから、入港する船舶の安全と利便を図るためであったと考えられています。

海図第一号