新日鉄釜石ラグビー部の日本一と釜石シーウェイブスRFC

「北の鉄人」と呼ばれ、日本ラグビーの歴史に偉大な足跡を残した新日鉄釜石ラグビー部。
新日鉄釜石は昭和54年から昭和60年まで、V7を含む通算8度の日本一に輝きました。

昭和34年創部。東北を中心とする高校出身者を基礎から鍛え上げ、「スクラムを押し、破壊力のある、相手に走り勝てるFW」をつくり上げました。昭和49年のCTB森重隆、昭和51年のSO松尾雄治の加入により、攻撃に厚みが増し、昭和52年から釜石ラグビーのVロードが始まります。

V7当時のメンバーは、CTB森、SO松尾といったゲームメーカーの存在もありますが、ただひとりとして大学出身のFWはおらず、BKを含め、そのほとんどは高校時代は無名の選手たちでした。これらの偉業の陰には、東北人特有の忍耐強さと、地域、会社をあげての温かい支援、そして、歴代監督のすばらしい指導力など、さまざまな要素がありました。

ここでは、新日鉄釜石ラグビー部の日本一の軌跡と「北の鉄人」たちの誇りを受け継ぎ、2001年4月に始動した釜石シーウェイブスRFCをご紹介いたします。

釜石シーウェイブスの試合日程はこちら(釜石シーウェイブスRFCホームページ

 日本一の軌跡(初VからV7)

■第14回日本選手権:国立競技場
初V:昭和52年1月15日(1977年)
                   ┌14- 3┐
新日鉄釜石27                12早稲田大
                   └13- 9┘
新日鉄釜石が、ついに悲願の日本選手権初優勝!
昭和46年の日本選手権で16-30と早大に敗れているが、6年ぶりにその雪辱。戦前の予想は「断然釜石有利」だったが、動きはコチコチ。20分、40分とSO松尾が連続してPGを決めてからは釜石ペース。FWがモール、ラックを完全に支配し、早大の軽量FWを圧倒、初の日本一に輝いた。


■第16回日本選手権:国立競技場
V1:昭和54年1月15日(1979年)
                   ┌ 9- 0┐
新日鉄釜石24                0日体大
                   └15- 0┘
この年から、釜石の無敵の快進撃スタート!日本選手権史上初の完封勝ち!
昭和53年7月に椎間板ヘルニアの手術をしたSO松尾は、この年の社会人大会から復帰。病みあがりとは思えない正確無比なコントロールのキックと、相変わらずの状況判断のよさで健在ぶりを披露。松尾のPG、DG、“糸の切れたタコ”CTB森の2トライ、そしてNo.8小林を中心としたFWの破壊力は釜石時代到来の大きなポイントとなった。


第17回日本選手権:国立競技場
V2
:昭和55年1月15日(1980年)
                   ┌24- 0┐
新日鉄釜石32                6明治大
                   └ 8- 6┘
釜石-明大の初顔合わせ。戦力充実の釜石はV2に自信満々!
開始早々、釜石のキックオフのボールを明大SO砂村がキックしたが、これを釜石No.8小林がチャージ。こぼれ球をHO和田がすかさず拾って左中間に先制トライ。試合開始10数秒での「史上最短のノーホイッスルトライ」により明大は完全に余裕喪失、以後の試合を決めてしまった。前半5トライ、後半2トライと、釜石のモールの強さとBKのスピードの速さを印象づけるのみだった。


■第18回日本選手権:国立競技場
V3
:昭和56年1月15日(1981年)
                   ┌ 4- 3┐
新日鉄釜石10                3同志社大
                   └ 6- 0┘
北の鉄人、史上初の3連覇!
林、大八木らの巨漢をそろえ大学選手権に初優勝した同志社大が、王者・釜石に挑んだ。同大SO森岡が前半10分DGで先取点。20分すぎまでFWも押されていたが、地力に優る釜石は39分、SO松尾、CTB森のサインプレーが決まり、WTB永岡から最後はFB谷藤がトライ。4-3と逆転で前半終了。後半にはいると釜石ペース。キャリアの差が勝負を分け、釜石は史上初のV3を達成。


■第19回日本選手権:国立競技場
V4:昭和57年1月15日(1982年)
                   ┌15- 7┐
新日鉄釜石30                14明治大
                   └15- 7┘
日本選手権史上に語り継がれる「勝利のインターセプト」松尾40m独走トライ!
前半10分、FL氏家のトライで幸先のよいスタート。しかし、明大史上最強といわれるFWに緊迫した状態が続く。15-7で釜石リードの後半9分にトライ、21分にPGと1点差に詰め寄られ選手は狼狽、大漁旗を打ち振っていた釜石応援席も静まり返った。そして29分、明大左オープン攻撃で、SO若狭からブラインドWTB高橋へのサインプレーのパスを、SO松尾が一瞬のスキをつきインターセプト。40m独走で中央にトライ。これを機に流れは完全に釜石に。終わってみれば30-14でV4達成。

 

■第20回日本選手権:国立競技場 
V5:昭和58年1月15日(1983年)
                   ┌ 9- 4┐
新日鉄釜石21                8同志社大
                   └12- 4┘
松尾“神技”「芸術的スラロームトライ」でV5の金字塔!
同大とは2年ぶり2回目の対決。キックオフ直後、ボールを奪った同大LO大八木に釜石LO瀬川が猛タックル。これで“怪物FW”で大学チャンピオンを勝ち取った同大もタジタジ。釜石の鉄壁のモールの前に全く歯が立たず、後半8分にはSO松尾の満天下をうならす「芸術的スラロームトライ」で試合を決定づけ、25分にはWTB佐藤のダメ押しトライで堂々たるV5の金字塔を打ちたてた。このシーズンは、BKリーダー森、名HO和田が抜けたが、地元高校では無名だった選手が、力強く確実な成長ぶりを示し、穴を埋める活躍を見せた。


■第21回日本選手権:国立競技場
V6:昭和59年1月15日(1984年)
                   ┌22- 4┐
新日鉄釜石35                10同志社大
                   └13- 6┘
歴史は動かず。「死角なし」釜石、またも同大のチャレンジを退ける!
社会人大会決勝は、東芝府中に反撃の糸口を与えず31-0で3年連続完封勝利。
日本選手権も釜石が全く同大を寄せつけず、無敵のV6を達成した。平均体重を5kg上回る同大FWであったが、スクラム、モール、ラックもほとんど釜石が支配。生きた球出しは坂下-松尾のHB団に余裕を持たせ、風上にも立った前半からSO松尾のキックで安定した戦いぶり。後半も確実なタックルで反撃を断ち、同大に試合をさせなかった。また、この年から赤いジャージーの左胸には、釜石市の花「ハマユリ」が縫いつけられ、深刻な“鉄冷え”に悩む市民にとって、ラグビーは市民の誇りと希望の星となっていた。


■第22回日本選手権:国立競技場
V7:昭和60年1月15日(1985年)
                   ┌12-13┐
新日鉄釜石31                17同志社大
                   └19- 4┘
前人未到、不屈のV7達成!“鉄の牙城”揺るがず8度目の優勝!
社会人大会準決勝では、東芝府中と19-19(抽選勝ち)の死闘を演じたが、決勝では神戸製鋼にあの伝説の「13人トライ」で22-0と、スッキリ4年連続完封勝ち。
日本選手権は3年連続同大との戦いとなった。開始早々、同大のFWの鋭い出足に押され2トライを許し苦戦。33分には同大SO平尾のDGで6-13と引き離された。しかし、36分FB谷藤からCTB小林につなぎトライで1点差。さらに後半4分、CTB金野のPGであっさり逆転。これでFWのエンジンがかかり、怒涛の攻めで試合の流れは釜石へ。19分にSO松尾が相手マークを引きつけてからのパスでWTB永岡がトライ。27分にはFL氏家、そして39分「1ヨコ千田」のサインプレーでNo.8千田がど真中に飛び込み、とどめを刺した。

釜石シーウェイブスRFC(ラグビーフットボールクラブ)

「北の鉄人」たちの誇りを受け継ぎ、ラグビーに寄せる熱き思いを秘めたラガー達は21世紀の幕開けと共に釜石シーウェイブスRFCという新しいクラブチームとして2001年4月25日に設立し、スタートされました。

釜石シーウェイブスRFCは、ラグビー競技において常にトップレベルを目指す一方で釜石、岩手、そして東北のスポーツ振興と普及に貢献し、地域に根付いたクラブ作りを目標としております。

企業の所有から地域と共生へ単独社会人チームから誰もが参加できるクラブチームに生まれ変わった今、クラブは皆さんひとり一人の物心にわたる応援・支援に支えられています。

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お問合せ先

釜石シーウェイブスRFC
TEL 0193-22-1173  FAX 0193-22-1183