バーチャル鉄の歴史館
3 近代製鉄の発進

橋野三番高炉の模型(20分の1)に立体映像装置を組み合わせ、
大島高任と製鉄作業人夫が当時の洋式高炉による操業の様子を紹介します。(10分間)

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近代製鉄への道のり
嘉永6年(1853)、ペリー提督の率いる4隻の黒船が浦賀に上陸し、日本とアメリカとの通商条約の締結を要求しました。
当時、江戸幕府の海防参与の立場にあった水戸藩主徳川斉昭は、黒船に対抗できる西洋式大砲を鋳造するため、水戸藩内に反射炉の築造と操業を命じました。御側用人の藤田東湖は、兵法、砲術を体得し、採鉱、精錬などの学問を修めていた大島高任を主任技術者として招きました。高任はこれに応え、反射炉の築造と操業に成功はしたものの、砂鉄を原料とした大砲では西洋の優れた大砲に遠く及びませんでした。そこで高任は鉄鉱石を原料とする洋式高炉の必要を感じ、水戸藩より100日の休暇を得て帰藩し、高炉築造の場所として選んだのが良質の鉄鉱石が大量に埋蔵する南部領でした。これが日本の製鉄の近代化の幕開けとなったのです。
水戸那珂湊反射炉(復元)
水戸那珂湊反射炉
(復元)

藤田東湖書簡(水戸藩御側用人)

大橋高炉
大島高任は、安政4年、オランダ人ヒューゲニンの著した「鉄熕鋳鑑」(訳名)などをもとに、大橋に鉄鉱石を原料とする洋式高炉を造り、安政4年12月1日(1858.1.15)に初出銑に成功しました。鉄鉱石を用い安定した銑鉄を生産する国内初の高炉でした。
貫洞瀬左衛門の個人経営で運営されてきましたが、出資者は中野作右衛門に代わり、高任が高炉の築造、操業に当たりました。その後、南部藩直営となりましたが1年余りで廃止され、再び個人経営に移ったのちも高任は築造、操業を指導し、文久元年(1861)更に高炉2座を増設しました。
従業員は約800人で、年間17〜18万貫(約660トン)の銑鉄を生産し、水戸藩那珂湊の反射炉用として用いました。また江戸城普請用としても上納しました。

ヒューゲニン(オランダ)
ヒューゲニン
(オランダ)

大橋高炉図
大橋高炉図
大橋瓢山高炉絵図
大橋瓢山高炉絵図
大橋製鉄(高炉)日記
大橋製鉄(高炉)日記

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